You may Dream

あなたは夢を見て良い。

夢を見る資格がある。

だが、私は思う。

夢を見ることはできるが、そこから先に進んでいくのは怖い。

なぜだろう。

わからない。

なぜこれほど、怖がるようになってしまたtのだろうか。

5年ほど前は、もっと自信があった。

活き活きとしていた。

受け入れられないこと、バカらしいことも存在していた。

だけど、そんなことには目が向かなかった。

どんどん積極的に受け入れたり排除したり、とにかく自分で進み続けていた。

判断基準が自分にあったというよりは、勢いで進んでいた。

勢いが自分という人間を作っていたのだろう。

なぜあれほどエネルギーが溢れていたのだろうか。

 

常々、優しくあろうとは思っている、というとなんだかいやらしく聞こえてしまう。

優しくありたいと思っている。

そして、優しくなければ存在している価値がない、意味がないと感じることもある。

本当にそのように感じるのだ。

大げさではない。

優しくなれないのならば、やらなくて良いことは山ほどある。

なぜか。

人を傷つけることが嫌いだからだ。

傷つけるのが好きな人はそれほど多くはない気もする。

だが、何気なくでも人を傷つける人は多い。

そして思うに、傷つけ続けている人も少なからずいる。

なぜ、それほど傷つけることが嫌なのか。

それは、自分が傷つくのが苦しいからだ。

この部分が数年前より変化した場所だ。

昔よりも痛みを感じやすくなった。

痛みという表現だけでは十分ではないだろう。

辛さ、悲しさというものが自分の体に重くのしかかってくるようになった。

そして、体の芯まで染み込んでくる。

とてもとても痛いことが多くなった。

悲しくて悲しくて。

相手を、他人を的のように思ったり、加害者ではないが、危害を加える人として認識しそうになるほどに痛みを感じるようになった。

 

その分自分は優しくなれているのかはわからない。

だが、人が傷つけられるのを見ているのはとても悲しい。

苦しい。

その人を見ていて自分が救うことができないから、という理由からではない。

自分も、同じように苦しみを感じてしまうからだ。

その人が感じているものと同じ痛みや悲しさではないが、人が傷つくという現象に対してものすごい苦しみを感じるようになった。

どこまでも悲しい。

そんなことが毎日起こらないで良いと思う。

 

けど、夢は見て良いし、毎日怯えることなんてない。

自分がいかに素敵な環境にいるのかを常に忘れないように。

思っているほど他人は自分を気にしていないし、あなたを傷つけようとは思っていない。

 

2017.4.5

広告を非表示にする