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What you want

なにを求めるか。

ふとした時に思う。

もし明日死ぬとしたら。

最近本当によく考える。

もし、そろそろ死んでしまうとしたら、なにをするだろうか。

この問いはなんだか不思議だ。

あまりも急すぎる。

もし、本当に死ぬとする。

それを前提とすると、あらゆるものの見方が変わってしまう。

前提自体が変化してしまって、これまでと同じように考えるなんてことはありえないことになってしまう、当たり前のことだが。

ものすごく、不思議だ。

もうすぐ死ぬとしたら、あと少ししか生きられないとしたら。

本当にそうなったことはこれまでになかったと思うし、今体験していて気づいていないだけなのかもしれない。

そうなった時には、体は元気に動いているだろうか。

心は正常と呼ばれる範囲で機能しているのだろうか。

文章を書いたり、会話をしたり、なんらかの方法でコミュニケーションを取る術は残されているのだろうか。

おそらく、そのうちの一つくらいはできるのだろう。

そう考えると、死ぬときはどんな風に死んでいくのかは全くわからない。

想像したこともなかった。

ある部分から、人は長い時間をかけてゆっくり死んでいくのだろうか。

本当に最後の最後の瞬間は、どこの機能が残っているのだろうか。

そんなことはわからないのかもしれないし、科学の力でとっても簡単に解明されているのかもしれない。

先に意識が失われるのか、肉体が死ぬのか。

そんなことを思ってみたものの、意識とて物理的な動きだから、結局は機能が停止するということなのだろう。

と、考えてみると順番が重要なのだろうか。

だが、逆はありえないだろう。

肉体は死んでいるものの意識のみが残されということはおそらくありえない。

そしてそうだとしても、コミュニケーションの方法はない、というか、そのような状況は肉体が死んでいるとは言えず、著しく機能が低下しているということだろう。

 

あと少しだけ、自由に何かができるとしたらという問いだ。

なにをするだろうか。

考えただけで涙が出そうになる。

家族に伝えたいこと、見せたい景色。

世界中の人と分かち合いたかったこと。

毎日続けていたことがここで終わってしまうこと。

それは、ものすごい感情を湧き起こすだろう。

喜びと悲しみ、名付けられぬものがいっしょくたになって、体に染み込んでくるのだろう。

そして、その感覚をまた、誰かに伝えたくなることは間違いないだろう。

それこそが、生きている証拠なのだから。

なにをするだろうか。

 

2017.4.4

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