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Always All Right

もっと、もっと。

世界の良い面を見た方が良いのではないだろうかという自分への提言。

毎日いろんなことがある。

悲しいことだって時々はあるし、その悲しみが深すぎることもある。

だが、良いことの方が目に入る。

人間はそのようにできている気もする。

それは間違いかもしれないが。

悲しみばかりに目を向けて、それに耐えられるという人もそれほど多くないのではないだろうか。

どうなのだろう。

悲しみと向き合い続けることも、それはそれでとても疲れる。

多くの体力を必要とするし、強靭な精神力という、名前ばかりで実態はよくわからないものが必要とされる。

そして多くの場合、自分だけではやっていけないので、周りや専門家と呼ばれる人たちの助けが必要となるのだろう。

しかし、それは喜びでも同じだ。

ほとんどの喜びも、自分だけで成り立つことは少ない。

自分がしていることが人とつながっていくこと。

自分が影響を与えていると実感できて、自分も影響を受けていると感じられること。

コミュニケーションがとれること。

そんな双方向の交流が存在するし、誰かにお世話になっていることは明らかで、悲しみのそれとあまり変わらないのかもしれない。

 

ふと、世界を見ている。

なんとなく、特に深い思い込みを持たず。

なにが頭に、心に浮かぶだろうか。

基本的に、苦しもう、悲しもうとする人はそれほどいないのではないだろうか。

それらを求めている人は、それらを苦しみや悲しみと呼んでいないようにも考えられる。

そう、他人からは呼ばれていたり一般的には見えるものが、それらを求めている人たちにとっては喜びや救いなのかもしれない。

自分であらゆることを選択して良いとしたら、するとしたら、皆心地よいものを周りに集めるのではないかと思う。

例えばそれは好きな音楽であったり、今目の前にあるものであったり。

いま、あなたの目の前にはなにがあるだろうか。

心地よい環境をどこまでも求め続けていくのが人間なのではないだろうか。

聴きたい音楽を流す。

あったかい布団に入る。

エアコンをつけて空調を整える。

空気清浄機を使用する。

そう、電気が当たり前のようについているがこれもその一つだ。

楽しいことをしよう、ずっとやりたくてできなかったことをしよう。

そうやって進んでいくのではないだろうか。

悲しみばかりに目を向け続けることは、ある意味できない。

だから、命を絶ってしまうこともあるのだろう。

周りを見回してみて。

Always All Right.

 

2017.3.27

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