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日を記す

あまりに当たり前のように時間は流れていく。

それを誰も止めることができない。

ここ一年、その時間の流れはさらに早くなったように感じる。

そうでもない、と誰かに言われてもそれは全く慰めにはならない。

実際に、自分の感覚以外に比べるものがないのだから、おそらく時間の流れは早くなっているのだろう。

1日を長いと思うことが少なくなった。

一年前の今日はなにをしていただろうか。

たっぷりと1日を振り返る時間が、まずそこにはあった気がする。

朝目覚めてから、1日をどのように構成しようか考えていた。

机に向かい、時間割を描くところから1日が始まっていた。

今日という1日を、どのように有意義に過ごすべきだろうかと考えていた。

それがうまくいかないこともあったし、うまくいかず数日苦しむこともあった。

ただ間違いないのは、そこにはたっぷりとした時間が流れていたということ。

いまでも、あの時のような暮らしが良いのではないのかと思う。

自然に生きていたはずだ。

一度そのように生きてみないと、自分がどんな人間なのか、どのような生活が適しているかというのはわからない。

頭を空っぽにしたり働かせたり、そこにさというか、オンとオフのようなものがある方が自然なのかもしれない。

 

日を記すこと。

記録しようがしまいが毎日時間は流れていく。

そしてそれを誰も止めることができない。

忘れてしまって良い1日など存在するのだろうか。

存在するのだとしたらなんだか悲しい。

そしてそれは、非常におかしい気がする。

そんな1日、いらなかったというような1日。

それはそのまま、丸ごと自分の生に対する否定のように聞こえる。

まるで、生きていても意味がなかったというように。

それとは少し異なるが、よく表現されるように忘れてしまいたいこと、忘れてしまいたい1日というようなものはあるかもしれない。

けどやはり、それは出来事のこともしくは出来事の連続を指すのであって、1日自体を消し去りたいというようなことはないだろう。

 

なぜ、日を記すのか。

まずは、毎日という決められた一つの単位を例として、時間に区切りを設けることで進んだり戻ったりするためではないだろうか。

心の整理をして、それを可視化するような。

そして、日々の出来事を記録し、記憶や感覚に反映させたり将来振り返るために。

記し続けて、早何年になるだろう。

死ぬその日はできないかもしれないが、死ぬその日までは遅れることなく続けていきたい。

 

2017.3.26

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