読み書き

私は昨日それに気づいた。

文章を読むことが好きだし、書くことも好きだということを。

正確に言えば、書くことは嫌いではないという程度だろう。

そして、得意とは言い切れないかもしれない。

だが、文章というもの自体が好きなのは間違いがないように感じる。

もっともっと、書いて読んでいきたいと今思っている。

それは、自然に心の底から湧きあがってくる感情のようなものだ。

強いエネルギーを持って、宣言をしているのではなく、自然とそう思っていることなので特に負担はない。

ああ、そう感じているんだなあと自分でも落ち着いて見分けられるくらいだ。

 

帰りの電車でもたくさんの文章を読んだ。

書いてみればわかるが、文章を書くことはものすごい時間を要する。

まず、言葉を生み出すこと。

それ自体はそれほど時間がかからないかもしれない。

慣れていたり、好きだったり、得意だったらスラスラと文章は生まれてくるだろう。

だがしかし、それだけで終わることはほとんどない。

そこから言葉を選びなおす必要がある。

より適切な表現を選び出す。

言葉自体が間違っていないか、文を読んでいて流れがおかしくないか。

自分だけにつわた割るように書いていないか、何度もなんども読み返す。

事実につても確認する必要がある。

書いていることが正しくなかったら問題になる子tも少なくない。

事実自体も変わっていくのだが、客観的にそうなっていることは、できるだけそうなっているままに表現される必要がある。

それに対して自分がどう感じたかを書いて良いのだが、自分がこう感じているとはっきりと分かるように書く必要がある。

歴史だって変わっていく、と書くと変な表現になってしまうが、歴史の人s木だって常に変化していくから簡単ではない。

生まれた文章はいつか自分の手を離れる。

ああだこうだ言われてまた、少しづつ形を変えていく。

そんなプロセスを経て、誰かのもとに届いていくのだろう。

私はたくさんの文章を読むのが好きだ。

映画の感想なんていうものを書かせてみると、その人となりは即座に分かる気がする。

面白い文章を書けるか、というとおても排他的に、攻撃的に感じてしまうが、そのようなことがひしひしと伝わってくる。

どこまで映画のことを理解しているのか、その映画に関する文章を読んだ人がどのようなことを感じるのか。

つなげてさらに想像すること。

他のことをするよりも、読むことが私にとって重要だ、そして書くことも。

そのように感じた昨日。

 

2017.3.25

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