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悲しみ

悲しみを感じ取ること。

今日はとても悲しいことがあった。

自分はそれは嫌だと思った。

同意できないという思い。

やりたくないと感じた。

それでは仕方ないだろうと。

責任というよりも感覚なのかもしれない。

だが、確実に嫌なことだった。

嫌なことをやらなければならないから悲しいのではなくて、王なってしまったことが悲しかった。

コミュニケーションが全く取れていない。

 

なにを優先するべきだろうか。

それは時によって変わっていくだろう。

常識と呼ばれるものもあるだろうし、そんなのが全く関係なくなるときもある。

どうすれば良いのだろうか。

それを判断し行動できるのが人間なのかもしれない。

だが、実際はすべて反応してるだけなのだろうか。

それでも自分で考えて行うのと、そうでないのとは大きな違いがある。

 

内を優先するのか、外を優先するのか。

長期的な仕事に目を向けるのか、直近のことばかりを行っていくのか。

わからにことはいつまでもわからない。

聞けばいいというかもしれないが、なにをどこまで聞けば良いかも自分で判断しかねる。

モチベーションの管理について面白い記事があった。

確かに、管理は自分だけで行うものではないかもしれない。

時に、それでは限界がきてしまうだろう。

 

私は、その場所でほとんど笑ったことがない。

心の底から楽しめていないからだろう。

悪いことが起こるのではないかと思ってしまう。

いいことがあったとしても、それだけでは終わらない。

いい時だけ笑って、楽しんで、調子に乗って過ごすのはとても嫌なことの一つだ。

そのあとが怖いというよりも、しっかりと悲しまないのにしっかりと喜ぶことはできないと思う。

自分の都合で、気分だけで、特にいいところだけに焦点を当てているようではどこにも進めないと思う。

利害の関わっていないとこでそのようにやったら良いと思う。

 

とにかく今朝は、怒りよりも悲しみが多かった。

言っていることはわかるが、そこまでに至るにあたりどのような経緯が存在していたのか。

誰がどのように勧化行動してきたのか。

他になにを思っているのかという想像力が不足している。

自分の考えだけを表明しているようでは、自分の考えている範囲に到達するのがやっとだ。

それなら自分でやったらいい。

 

悲しいときはしっかり悲しむこと。

いろんなことに鈍くなっていく必要もある。

それでも、感覚を失ってしまったらおしまいだ。

なぜそれが嫌なのか、悲しいのか。

そこに自分がある。

 

 

2017.3.23

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