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必要とされる方に

今日は、旧友と話した。

何年ぶりかに話したと思う。

正確にいつぶりかは覚えていない。

離れていた気もするし、そんなに離れていなかった気もする。

そこは、特に気にならなかった。

これまでどういうやりとりをしていたかははっきりと覚えていない。

しかし、おそらくこれまでと同じようなやりとりだったのではないだろうか。

すっと、入ることができた。

まるで、これまでにそれほど長い期間が空いていたと思えないように。

昔のように、すっと戻ることができたのだろう。

色々と話をした。

こちらも少し話をしたが、今まで通り、大体は聞いていた気がする。

内容は、非常に面白かった。

久しぶりに、周囲から嬉しいニュースを聞いた気がする。

非常に面白い話だった。

自分も昔から少しは変わったところがあると思う。

そして、役に立つことができるだろうと思った。

具体的ではない、しかし進んできたことは明らかだ。

自分がそれを知っている。

そしてその道は、彼の道とは重なっていない。

それがまた良いと思う。

自分の道を進んでいくことで、また、どうにか誰かとなんとかやっていくことができるようになると思う。

本当に、嬉しいニュースを聞くことができた。

感謝している。

しかし話をしていて、それなりに歳をとってきたなと感じた。

一年二年なんて、あっという間に過ぎていく。

自分が想像しているよりも早い、なんていう表現はほとんど意味がわからないが、早いということには間違いがないように感じる。

気づけばもう、この年齢だ。

この年齢で考えると、たいして若くはないし、すごいことでもなんでもない。

もっと早くにできたかもしれないとも思える。

とにかく、若くはないと思った。

それでも、とても立派なことだ。

実際、なんだってできるのだと思った。

そして、もっとやっていかなくてはと思った。

責任や不安は、ある程度置いていくぐらいが良いのかもしれない。

自分にできることできないこと。

それをしっかりして、できることに集中していくのが良いのではないだろうか。

だから、負い目は感じずに、できると思ったことをやろう。

ものすごく当たり前のことなのだが、話が終わってこう思った。

人は、必要とされる方向に進んでいくのではないだろうか。

もし、本当に必要とされているのなら、そちらに行くだろう。

面白い方に行くというのも大きいが、必要とされる場所に、引き寄せられていくのではないだろうか。

そして今、私は必要とされているのだろうか。

勘違いかもしれない。

でも、必要とされることは人生でそれほど多くはない。

 

 

2017.3.20

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