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命について、語ってきたことはそれほどない。

少なかったと思う。

前に書いた時の記憶はない。

しかし、書いてみても良いと思う。

言葉にしてみると、実現してしまうような怖さがあると、よく言う。

しかし、それと同じくらい期待しても良いのではないか、とも思う。

もし、悪い方向にすべてのことが実現してしまったら、

良い方向に、すべてのことが実現しまったら。

どちらも、そんなことは起こりそうにはない。

半分半分か、どれも当たらないか、なんだってありえるけど、心配することの意味はどれほどあるか全くわからない。

体力、体調、寿命、あらゆるものは人それぞれだ。

こうして改めて述べる必要もないのだが、そんなことを言ったら、すべてのことは述べる必要がなくなってしまう。

長さ自体も異なるし、濃さも異なる。

そんなこともよく言われている。

果たして、私の場合はどうなるのだろうか。

悲観することもできるし期待することもできる。

ここ三、四年、体調を巡って様々なことがあった気がする。

どれも程度は酷くないが、まあまあ刺激的だった。

毎年、体の最低一箇所に関しては、このまま酷くなれば手術する必要があるかもしれないと言われてきた。

そういえば、ほとんど忘れていたが、体にメスを入れたのは去年が初めてだ。

規模も本当に小さかったので忘れていた。

手術も、お金と暇がないとできない。

という方言は適切ではないかもしれない。

まず手術をしなければ、お金も暇も生み出すことができないだろうから。

同じような症状が体のあらゆる箇所に現れている。

これ以上進行すると手術をする必要する案件が、今現在い少なくとも二つある。

そうなる気はしないが、どうなるかはわからない。

また、別の場所で同じ症状が起こるかもしれない。

そして、咳や頭痛といった症状も頻度や程度がどんどん変わってきている。

悪化しないこと祈りつつ、具体的にできることはどんどんやっていくしかない。

そして、今日思ったのだが、思っても全く意味はないのかもしれないが、人生はそれほど長くないのかもしれない。

死ぬのを怖がったり、生きるのをありがたいと感じられる暗長くはあるが、思っている以上にスパッと、ある時に終わってしまうのかもしれない。

そんなことを思ってみると、あらゆることがどうでもよくなった。

大切なものも見えてきた。

これは、何か変化を自分にもたらすのだろうか。

永遠に生きられると思って生きてみること、そろそろ死ぬと思って生きてみること。

自分にはどちらが良いだろうか。

 

2017.3.18

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