待つ

もう少し待つ必要がある。

このタイミングというものはとても難しい。

時間を味方にする、自分の方につけるという表現がある。

それがとても必要な時がある。

なぜ難しいのか。

時間というものの正しい使い方を我々が知らないからだろうか。

それに関する正しい教えのようなものはあるのだろうか。

教科書に載っているのは見たことがない。

あらゆる人が、自分や他人の行き方について考えを巡らせてきた。

ある人は、自分の人生を振り返って本を書いた。

本を書いたというよりは、振り返ったものが文章となり、本と呼ばれる体裁を整えた。

それを読むと多くがわかるという。

失ったもの、手に入れたもの、そしてその時にどのようなことを感じていたか。

その事実と感情をが多くを物語っているのだろう。

何を手にし、何を失ったかというのも、客観的ではないかもしれない。

その人の心の中での変化といえるかもしれない。

何を感じたのかが、大きく判断や印象に影響を与えるのだろう。

他人の人生を分析し続けてきた人もいた。

データを取った。

時間を計測し、インタビューをしてきた。

そして、そのようにできた幾つかの本がある。

そこにはあらゆることが述べられていた。

どのように生きたら良いか。

考えはその人によって大きく異なる。

好きなことをやれ、愛するものに時間を注げ。

無駄だと思ってもそれと向き合え。

なんだか、まとめてしまうと抽象的でしかないように聞こえてしまう。

どのように生きたら、自分が死ぬ時に納得できるだろうか。

というのは、適切な問いだろうか。

つまり、そのように考えることによって人生はどのようにか、有益なものになっていくのだろうか。

適切な問いなんて、時間というものが存在しなければわからないものだ。

何かを検証するためには、時間というものが必要になってくる。

そもそも、短い時間で達成できることなどほとんどないのかもしれない。

そして、人の一生とは、一生を振り返るにはあまりにも短く不十分なのかもしれない。

だとしたら、答えは見つからないのだろうか。

どうやったら時間を自分の方に引き寄せられるのだろうか。

そんなことは、コントロールできるわけがないのかもしれない。

だからこそ、面白く見えるのだろうか。

できないことをできるようにすること、期待すること。

そうやって想像を膨らませたり問題を作ることで人間は生き延びてきたのかもしれない。

後何年、何日、何秒したら、何がわかってくるのだろうか。

待つというのも、座ってじっとしていることだけを言うのではない。

 

 

 

2017.3.8

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