希少性に関する疑問。
それはまるで、永遠であるかのように頭の中に渦巻いている。
希少、数が少ないことには価値があるのだろうか。
おそらくあるのだろう。
希少であることがつまり、価値があるということなのだろうか。
それでは、価値という言葉が意味するところはどこなのだろう。
お金が払われるということがその一つであるかもしれない。
いや、そのほとんどなのかもしれない。
数が少ない状態であること、数が少ない状態になること。
そこに価値がある。
大量の、高額のお金が動く。
そのように単純な流れがそこには存在するのだろうか。
そんなに単純な話ではないような気がしてならない。
そのことについて説明している論文は世の中にたくさんあるのかもしれない。
幸か不幸か、私はそれをひとつも読んだことがない。
希少性と価値、希少性の価値。
そのようなタイトルの本も溢れるほど存在しているのだろうか。
でも、溢れるほど存在していたら、それはほとんど価値がないのかもしれない。
なるほど、そうである、数が多いということは価値がないということなのだろうか。
それはあまり聞かないような気がする。
多ければ多いほど良いものも、ことも、この世にはたくさん存在するのだろう。
価値があるものになるためには、数が少なくならなければならないのだろうか。
つまりは、他と異なること。
ユニークでオリジナルであるということ。
そうすれば、そのものは問答無用で価値がある、価値が高いということになるのだろうか。
他と違う、同じものが存在しない。
そのようなものがどれほど存在するのだろうか。
わからない。
そのように少なくて比類がないものはやはり価値があるのだろうか。
では、その状態になることはできるのだろうか。
選択の結果として。
他のものや人と、全く違う方向に向かっていくこと。
何事においても知られなければ評価されるということはありえないが、異なるだけで価値は生まれるのだろうか。
全く必要とされないなど、需給の関係も絡めるとまた複雑になってしまうが。
全く異なるものになること、すると価値が生まれるのだろうか。
人はお金を払い、それを手に入れようとするだろうか。
数が少ないからというだけで価値は生まれないかもしれない。
そこに何か、異なる点を明らかにした理由のようなものが必要なのかもしれない。
数が少ないこと、それでいて、何かしら魅力的なこと。
それが希少性というものなのだろうか。
価値があるのは、ただ少ないだけだからというわけではなさそうである。
2017.3.5