歩いた道

今日道を歩いていて感じたことがある。

この街のあらゆる道を歩いてきた。

方向感覚を失うほどに歩いてきた。

たくさんの道を目にして、わかっていることが増えたような気もするが、忘れているものも増えているだろう。

ある作家、作曲家に関する石碑がある。

その、誰もが知る歌を生み出した人が、ある時期そのあたりに住んでいたということだ。

歴史の事業に必ず出てくる人で、功績を詳しく知らなくとも、名前の響きは誰もが知っているだろう。

そんな人と出会った気がするように、その石碑と出会った。

その日は曇っていた気がする。

今日もその道を歩いていたが、天気は曇りだった。

なぜだろうか。

天気は自分で変えることのできないものの一つだから仕方ない。

 

この道を歩くことが、価値をもたらすだろうか。

自分がこの道を歩くことで、価値が生まれるだろうか。

そんなことを、ふと思った。

自分が今、この道を歩いている。

先から見て、自分という人間が、この道を歩いていたことで誰かに価値を与えることはできるのだろうか。

価値というのはなんだろう。

それは例えば、喜び。

安心や親しみやすさかもしれない。

あるいは誇り。

そのようなものを、自分はともかく他人に、しかも顔も知ることのないような人に与えるということはあり得るのだろうか。

そんなことをふと思った。

そしてそれについてしばらく考えながら坂道を歩いた。

この街にはいくつもの坂があって、その多くには名前が付いている。

どの坂の名前も覚えてはいないが、坂があって名前が付いていることは認識している。

 

この道を自分が歩いていたことで、何かを感じる人。

それは、いないわけではない。

一人はすぐ頭に浮かんだ。

もし、自分が死んだとして、その人がこの道を歩いたら多くのことを感じるだろうなと思う。

仕事の合間に、こんな景色を見ていたのかと。

その風景自体に目新しさや面白さは全く含まれていないかもしれない。

だが、そこに、その人がいたという事実。

歩いていた、通っていた、その人にとってとても身近であったという事実。

それは、誰かの心を温める。

 

将来、自分が多くの人に知られるようになったとして、もちろん良い意味で。

誰かに、何か安心や誇りのようなものや懐かしさのようなきっかけを与えることはあるのだろうか。

石碑はできなくて良い。

私がこの道を歩いていたということが、どうにか知られると面白いのかもしれない。

そんな日は、くるのだろうか。

今日も皆、道を歩いている。

 

2017.3.4

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