A Day In The Life

1日に1枚の写真をとるとする。

1秒の動画でも良い。

しかし、1秒の動画というのは少しパッとしない。

少しではないかもしれない。

全くパッとしない。

1秒という限られた時間では動画の持ち味を引き出すことができない。

動画であるからにはその移り変わりがよく見えたり、その中からストーリーが読み取れるものの方が良い。

1秒ならば、とても短いが写真の方がイメージを残しやすいのではないだろうか。

 

1日に1枚の写真を選ぶ。

これまでに撮ってきた、何万枚もの写真の中から。

それだけでも相当の時間がかかるはずだ。

1日に1枚写真を撮ってきたとも言い切れない。

ある日には、何百枚もの写真を撮ったであろう。

旅行先で、これまで見たこともないような景色に感動して、終わりがないようにシャッターを押し続けた日がある。

その対象は都市の景色であったか、圧倒的な大自然だったであろうか。

1日に、たった1枚の写真も撮れなかった日も積み重なっているはず。

それはなぜだろうか。

天気が悪くて外に出る気がしなかったのか。

表を歩いていてもとる気分になる対象が存在しなかったのか。

それとも、あまりにも忙しすぎてシャッターを押し逃してしまったのか。

仕事が大切で、食事が大切で、というのは理由にはならない。

写真は1秒で取れるはずだ。

毎日、どこかで変化は起きている。

美しいものだって汚いものだって、その目には必ず何かが映っているはずだ。

それを記憶に変えることは容易ではない。

なんらかの形で記憶を外部化することを人はこれまで習慣としてきただろうし、これからも、装置や手段は変わるとしてもそれを止めることはなさそうだ。

ある程度の期間は。

 

毎日、何かを見落としていないだろうか。

見落としている瞬間、人はそれを見落としていることに気づかない。

ある時の写真を、無意識的に何気なく撮っていて、後で振り返ったら多くのことを思い出すことがある。

だが、取り逃がしたものは何も生み出さない。

撮っていて、その写真をよく見ていたのにそれがなくなってしまった時はよくその写真の風景を覚えているだろう。

 

1日に1秒の写真を選んでいく。

生まれてから死ぬまで、何枚分、何秒分になるだろうか。

それを選び出すのにどれだけの時間がかかるのだろうか。

どれだけ技術が進んでも、選択するものは限られている。

そういう限界も今後はなくなってしまうのかもしれないが。

取りまとめることは、まだこの時代において重要なことだろう。

過去を、見続けること。

 

2017.3.2

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