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3月1日

過ぎ去った日々。

1日何が起きていたのか。

自分は何をしていたのか。

それを思い出すことは簡単ではない。

その出来事が起こってから、少しの間なら、より正確に思い出すことができる。

時間が流れてしまうと記憶も変化していく。

自分が思い出さない限り、自分の記憶は誰も目もしれくれていない。

その日に何が起こったのか。

それ自体も重要で、そこから何を感じていたかも重要だ。

毎日がなんとなく流れていくのを止められるのは自分しかいない。

 

そして今、多くの時間が流れた。

たった一週間前、二週間前のことでも、正確に思い出すことは難しい。

そんなことをする必要はないかもしれない。

一週間前何をしていたかを思い出すことが、長い人生の中でどのような効果をもたらすのだろうか。

3月1日は水曜日だった。

その日も、いつもの時間に起きたのだろうか。

朝食はおそらくご飯。

体調は悪くなかったはずである。

駅まで急いで走っていく。

天気も悪くなかったように思う。

その日は何を楽しみにしていたのか、今では思い出せない。

フランスに行くことが決まった日はいつだっただろうか。

その日はもう決まっていたのか。

確定申告に向けて焦りを感じ始めた頃だろうか。

今日は時間が余っていて余裕があると思っていたかもしれない。

 

昼飯はどこで何を食べたのだろうか。

ステーキを食べに行ったのはいつの日であったか。

一人でコンビニでおにぎりを買って、外を散歩していたのは先週だったか、それよりも前の週なのか。

仕事は忙しかったのか、何時に切り上げて帰ってきたのか。

進まないことばかりで苛立っていたのかもしれないし、やる気がなくなってしまったのかもしれない。

どうだったのだろう。

 

記憶に残るような日は、人生でどれほどあるのだろう。

多くの人の記憶に残るような強烈な出来事ではなくて、個人的に忘れられないことがあった日。

そしてそれは劇的なことではなくて、何気ないことであった日。

そんな日はほとんどないような気がする。

毎日いろんなことを感じているはず。

喜んだこと、悲しんだこと。

いろんなことに悩んでいたはずだ。

もっと才能を発揮できる。

今のままではもったいないということを言われた日はいつだったであろうか。

その日は確実にあったけど、それが3月1日出あったかわからないし、日付にこだわる理由もない。

だが、それはいつかの日で、その日にはきちんと日付というものがあった。

今日はどんな日だった?

そんなことを聞いてくれた人がいる日だっただろうか。

 

2017.3.1

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