本を読む

本を読むという体験。

これは、ほかの体験とはおきく異なることだ。

同じく文章を読むという行為もあるが、本1冊を読むのと、記事を一本読むこと、1日分の新聞を読むことは異なる体験だ。

それはなぜだろう。

もっと意識するべき事柄なのかもしれない。

先月は久しぶりに本を何冊か読んだ。

今月はまだ1冊も読み終えていない。

気づくと月の半ばが近づいている。

このまま1冊も読み終わらないまま時間が流れていくのだろうか。

それはよくないだろう。

今月は、

たくさん文章を読んでいないわけではない。

ニュースに関してはそれほどチェックしていないが、ある人の考えが書かれた文章は深く読み込んだ。

その量も多かったし、本に換算すれば何冊分か読んだということはできるだろう。

だがどうも、記事を、細かくたくさん読んでいるのは本を読むことに比べるとつまみ食いしかしていないように感じてくる。

 

本を読むことはおそらくある種特別なことなのだろう。

内容のすべてを記憶にとどめることは容易ではないが、本を、その本を一冊読み終えたという経験、事実を忘れることは滅多にないだろう。

 

つまみ食いと比べて、大きな達成感がそこにはあるのかもしれない。

ある一つのテーマに沿って、長い文章がある。

同じ人が、一つのことを多様な視点で描いたもの。

そうでなくても、たくさんの著者がいたとしても、一冊の本というものはまとまりがある。

それを味わってしっかりと消費した時に、全体を通した印象というものが自分の中で生まれるのだろうか。

そしてそれこそが本を読むことの醍醐味なのかもしれない。

つまみ食いだけでは決してたどり着けないもの。

決して、必ずそれはどっしりと重いわけではない。

軽い、消えてしまいそうなものかもしれないが、全体を通してだからこそ得られるもの。

そんな印象の塊を、優しく心に、体に残してくれる体験。

 

今月は、その分映画をよく見ているように思う。

映画を見ることのできる時間を確保できているのも幸せなことだ。

だが、映画を見ることと本を読むこともまた異なる。

原作と映画を見比べても違いを感じてしまうように、読書と映画鑑賞にも明らかな差がある。

決して、同じものを、同じように消費したような感じは得られない。

 

読書しなければ、あの感覚を味わうことはできない。

だからまた人は本を読みたくなるのだろうか。

簡単には終わらないが、必ず読み終わった後に何かが残る。

そのわずかなものを求めて。

今月も何か本を読もう。

 

2017.2.9

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