読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

優しさ。

確かに、私は優しすぎるのかもしれない。

優しすぎるという表現は、自分を形容するにはあまり使わない言葉かもしれない。

形容というか、自分で自分を表現するにはおこがましいというか、それは人から褒められたり、そうであると捉えられるときに与えられる表現であるように感じる。

確かに、優しすぎるのかもしれない。

 

優しさとはなんだろうという文章を書き出したら難しくなりそうだ。

だが、やさしくなりたいとは思ってきた。

生きていく上で、とても重要なことだとはっきり信じていた時期があったことを記憶している。

その時はしっかりと文字でそう記していた。

生きている意味が幾つかあるとして、その一つにやさしくあることと記入していた記憶がある。

つまり、やさしくなれないのだとしたら、存在する必要はないと。

確かにそれはそうだと、今でも思う。

やさしくなれない、人tにやさしく接することができないならなんの意味があるのだろうか。

人を傷つけようと思って生きている人はそれほど多くないかもしれない。

全く傷つけないなんてことは不可能だが、受け入れよう、楽しくしようと意識して振る舞うことはできる。

なぜ、やさしくなりたいのだろうか。

 

最近になって、不思議なことが起きてきた気がする。

これまでも起こってたのだろうが、はっきりと意識することはなかった。

受け入れる、尊重する、相手のことを考える。

それと、自分のことを考えたりすることの境がわからなくなってきた。

本当に相手のためになっているかなんて考え出すときりもなくなってしまうが、それはいつも考えざるをえない。

あまりにも相手のことを優先したり、そうなっているなあと自分で感じてしまう時がある。

実は、相手を理由にして、自分で考えることを放棄していたり、言い訳にしていたりすることがこれまでにもあっただろう。

それは、とても卑怯だ。

優しさの反対にあるものだ。

偽善的に、そのようなことを繰り返していると問題も出てくる。

自分で物事を決められなくなり、他人のせいにし始める。

自分のせいではない、これはどうしようもない。

相手のことを思ってやっているのに、こんなことになってしまった。

非常に卑怯で、いいことは全く起こらない。

それは優しさでもなんでもない。

自分のこともしっかりと考えられる優しさが必要だ。

相手と同じくらい、自分のことも尊重して良いのではないか。

それができないと他人のことも大切にできないのかもしれない。

やさしくなろう。

2017.2.5

広告を非表示にする