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対話

ふと、一年前の自分のことを思い出す。

今の自分よりは、しっかりと、生き生きと、自主的に、積極的に生きられていたのではないかと思った。

朝起きて、そこから何をするのか決めるのは自分自身。

ほとんどの時間をコントロールすることができた。

毎日何時に寝て何時に起きていたのかはよく覚えていない。

していたことはよく覚えている。

特にしていたことは、本を読むこと、外に出かける、散歩をして景色を眺め、空の写真を撮ること。

春の暖かさ、秋の空の美しさを体でいっぱいに感じていた記憶がある。

他にしていたことは。

絵を描いていた。

今でも書いているが、あの頃はより真剣に、のめり込んでいた。

今より細かく、多く、たくさんの色を用いて机に向かってはたくさんのものを紙の上に表していた。

その頃、職と言える職はなかった。

食べることには問題なく、住むところもあるし満足できる環境にいた。

決して、やる気がなくなることもなかったし、焦りも少なかったと記憶している。

毎日、この時間をどう過ごしていこうか、無駄にしないようにするかしっかりと考えて過ごしていた気がする。

その中でもうまくいかないことや、飽きも生まれていたと思うが。

 

その頃が、自分の自然な状態だったのだろうか。

これに関しては、実際に試してみないとわからないと今になって思う。

あらゆることは、後になって振り返ってみると容易に納得できるような気がしてしまう。

あの時の自分は、あのように過ごしていた。

それはそれで自然な、自分で選択した行為だったと言えるが、次そのような状態が訪れたとして、同じようなことをするかはまったくわからないと思った。

その時の過ごし方が、たまたま本を読んだり、図書館に出かけてあらゆる景色の映った本を見ていたことなのかもしれない。

 

何が自分にとってナチュラル、自然な状態なのだろうか。

今の自分はどうだろう。

自ら動き出している気がせず、抜け殻のような気分になる。

何かが先に詰まっていて、心地よく動けなくなってしまう。

感情の振れ幅が小さくなっている。

あらゆる、小さな自分以外のことが怖くなってきている。

自分のこと以外に時間を取られる。

 

職や給料がある時とない時で、それは一つの要素だが、どちらが自然に、真剣に生きられていただろうか。

社会や他人からの見方は大きく変わった。

何が自然なのだろうか。

自分が生き生きと生きていけること。

そして他人にも迷惑をできるだけ少なくし、理解してもらうこと。

どういう状態が自分にとって自然なのか。

 

2017.1.30

 

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