手中にあるうちに
手中にあるうちに。
このタイトルだけを下書きに記載していた。
そのまま、幾日か置いたままになっていた。
寝かせて、文章を考えていたと言っても良いが、実際はそうではなかった。
完全に忘れていた。
しかし、忘れてしまうことを予想して、それでも書き出すことができるように下書きに保存していたのかもしれない。
つまり、手中にあるうちになんらかの手を打てたとも言える。
だが、この文章を今こうして書かなければ、そしてこの文章が表に出なければ手中にあるうちに起こしたなんらかの行動も見えぬままだし、意味がなかったということになるだろう。
つまり、手中にあるうちに行動できなかったのだと同じということだ。
この下書きを作成した時、手中にある時、なあにかをしなければならないということをこれまでと同じように、あるいはそれ以上に強く感じていた。
あまりにも時間の流れ方が自分を思うものと異なっていたので、どうにかしなければならないと感じたのだ。
早く、時間が流れていく。
あまりにも早くて、自分が付いていけない。
自分の感覚や能力、目標設定や現実を見る目がおかしいのではないと思っていたのだろう。
とに買う時間が早い、コントロールすることができない。
自分はできることをしている、無理をしていないしこれまで通りだが、それでは間に合わなくなってきたというように感じていたのだろう。
しかし同時に、自分が何かを手中に収めている確信も持っていたのだろう。
まだまだ、何かを起こすことができるだろうし、手中にあるうちは、コントロールできると。
まだ失われていなかったし、諦める必要がないこともわかっていたのだろう。
自分が手にしているのに、手にしていると気づかないものは多い。
それを見出すことなく死んでいく人もたくさんいる。
持っていないものを、自分が持っていると信じ込んで、世間でいう偉大なことを達成する人もいれば、歴史に残る大惨事を生み出す人まで人間は様々だ。
思ったいる以上に、多くのものを人は持っているだろうし、案外思っていたほど持っていなかったりもする。
そして、或る日突然奪われてしまうことは本当によくあることだったと歴史が証明している。
突然与えられたという話はそれほど聞いたことはないが。
だが、持っていると思っているものは物質だけではない。
感覚、感情、目に見えないもの。
あらゆるもを間違えないように。
あなたは、今、何を持っていて持っていないのか。
手中にあるをもを見つめて。
2017.1.26