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1000文字

なんでもいいから続けてみなさい。

そう言われて、私はまた、書くことを選んだ。

大人になってから意識的に始めたものだが、幼い頃から書くことには抵抗がなかったし、どちらかといえば好きなことの一つだった。

書くことで褒められたこともあっただろうし、自分にとってこれは役立つことだと感じたこともあるからだろう。

最初は、型を学んでいた記憶がある。

いろんな文章を読んだ。

読まされたのか、進んで読んでいたか記憶はないが、本というものが非常に身近にあった。

それは私だけに与えられた特別な環境ではなくて、一般的な環境と言って良いものだと思う。

幼い頃、読んで、書いてを繰り返していくうちに自分の利のスタイルがあるということには気付いた。

最初は、書き方というか、書くことに関して発見があった。

どんな言葉を使って、どんな内容の文を書けば、他とは少し異なるテイストになるかが、私にはわかった。

面白い場所、を文章の中に作り出すことができた。

どちらかというと、自分のためにそれを作り出していたし、その部分に自分でも酔っていた。

「何か」を文章の中に入れることによって、他の人と違うことを表したかったのかもしれない。

決して子供じみた文章にならないように気を使っていた記憶がある。

他の人とは同じようにならないこと、どこかしらカッコをつけるというようなイメージで、子供が頑張ってスーツを着るように取り組んでいた記憶がある。

もちろん、そのスーツは大きすぎるし、背伸びしているのが他の人には見え見えだから、おかしいなあと思われたりかっこ悪いとも思われただろう。

しかしながら、そのようにして自分が何かを付け加えたり違いを生み出そうとしているのが好きだった。

見え方よりも、それを作り出す行為自体が好きだったのだ。

年末から、また書くことを再開する。

字数を意識することはあまりないだろう。

300字であなたの意見を述べなさい、と言われてその量を瞬時に、なんとなくでも良いがイメージできるだろうか。

700文字ではどうだろうか。

長いのか短いのかもわからないのかもしれない。

普段、文章を読むときはそれほど苦痛を感じないだろう。

どんなに長い文章でも興味の範疇のものなら時間はいくらでも注げる。

そして、その文章が何文字であったなんかなんて、全く問題にならない。

自分で書いてみると、仮に1000字書いたとしても、文章はこんなに短いのかと驚くだろう。

書き手と読み手を体験することでまた、見えてくることがある。

1000文字は、書き手としては決して短くないが、読み手としては完全に短い。

 

 

2017.1.17

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