靴紐

日々の積み重ねは、本当に大きなものになる。

1日、1日。

毎日は同じ長さ。

1日分を取り返そうと思ったら、さらに1日という単位の時間を注ぐ以外の方法は存在しない。

毎日、わずかなことでも続けていくと、いつかそれが信じられないくらい大きな結果となって現れる。

それが良いものであるか悪いものであるかは、その人や周りの人が決めること。

とにかく、日々の積み重ねは大きなものを生み出すということは重要な、もしくは単純で当たり前の真理の一つなのかもしれない。

「靴紐を結んでいる間に人生は過ぎ去る」という言葉がある。

これも、当たり前のことだ。

べつに、ガムを噛んでいようが、寝ていようが時間は止まらないし、人生というものは進んでいくだろう。

誰に頼もうとも、頼むことはできるが、時の流れを止めることができる人はいない。

時間はある方向に向かって永遠に進み続けるのだろう。

 

靴紐を結んでいる間にも人生は過ぎ去る。

この表現は、どのような印象を与えるだろうか。

靴紐を結ぶという行為が虚しいことのように思えるかもしれない。

靴紐を結ぶ、そんな何気ない瞬間にも時間は過ぎていく。

靴紐を結ぶ、そんなどうでもいいような、しょうがないからやらなくてはいけないようなことをしている間にも、貴重な時間は流れていく、というようなことを言いたいのだろうか。

時間は非常に貴重なもの、という言外の何かがそこにあるように思えてしまう。

しっかり、靴紐を結べよ、とそんなメッセージが込められているのだろうか。

深く考えすぎで、そんなことはないのかもしれない。

靴紐を結ぶという行為は悲しいものかもしれないかもしれない。

あらゆるものと比べて、するに値しないというか、それほど価値がないこととして認識されているのだろうか。

そして、時間が過ぎるということも悲しいことなのだろうか。

だから、もし時間が過ぎるのならば、時間を消費するなら積極的に、納得できることに時間を使うべきだと言っているのだろうか。

何をするにせよ、時間は過ぎていき、それが返ってくることはない。

あなたはそれを、靴紐を結ぶことに使うこともできれば、空想に耽ることに使うこともできる。

人の命を救ったり奪うことも。

そういえば、時間を止めたり戻したり短くすることはやはりできないのだろうか。

しっかりと、靴紐を結ぶのを味わうことはできないのだろうか。

確かに、靴日を結んでいる間に人生は過ぎている。

だけど、それがどうしたというのだろう。

 

2017.1.16

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