自分の軸

今日、話をしていて気づいたことが二つほどあった。

一つ目。

自分の軸はそれほどぶれていなかった。

前から変わっていなかった気がする。

その認識は自分に安心を与えた。

これでこそ自分であると思えたし、これからもこの軸があると言えるようにしていきたいと思った。

その実験の家庭に自分がいることに安心したし、さらなる気力も生まれた。

それは、どのような軸であろうか。

「違いの可能性」を感じること。

そして、それを自分の中から外へ出していくこと。

違い。

自分とは異なるもの、こと。

それがあればあるだけ面白いと感じられる。

自分というものがあるし、それ以外のものがあるということ。

面白いと感じられるものには全て違いがあると言えるのかもしれない。

なぜ、面白いのだろうか、それは違いがあるからだ。

面白いものはつまり違いである。

言い方は幾つかあるのかもしれないが、同じものだけ、というよりは異なるものが存在していることは非常に重要なのではないかと思う。

これから、時代は変わっていく。

変わらないことなどありえないのだが、しっかり変わっていることは大きな安心を私たちに与えてくれているのではないだろうか。

もし、本当に変化がないとしたらどうなるだろう。

過去も現在も未来も存在しなくなるではいか。

何にも違いがない、全く同じ。

何をしても、しなくても、変化がないとしたら。

何も感じられなくなってしまったら。

人は、そもそも違いに敏感な生き物であると思う。

人だけではない、動物は、違いというものに関して非常に敏感だ。

同じだからこそ、というものと同じ数だけ、違うからこそ、というものが存在するのだろう。

同じだから進化や発展もあっただろうが、違うことが起きたことで、全体は大きく動いてきた。

それは歴史が証明しているし、大きな変化があったときは、嬉しかろうが悲しかろうが、何かが結果に変わらざるをえなかった時なのだろう。

違うものを忌み嫌い、時には殺したり消滅させてきた歴史。

しかし、同じものだけで進んでいくことはできない。

異なるものも吸収していかないと、同じ状態を維持することもできなくなってしまう。

言語、文化、習慣、個人の生きる意味。

料理の味、今聞こえている音、あなたが書く文章やそれを読んだ時に感じること。

全ては異なると私は信じている。

二つ目のことはもう忘れてしまった。

「違い」には可能性がある。

それは私が信じてやまないことの一つであり、これからも重要な真実だ。

 

2017.1.14

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