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宣伝すること

今日気づいたことは、自分にとってうまくいくようなやり方があるということ。

その成功例のようなものを経験したような気がする。

 

宣伝というものには昔から気が引けていた。

特にものに対してだが。

人に対して何かを押し付けるということがとても嫌いだ。

宣伝がすなわち押し付けることを意味するわけではないのだが、自分の中ではほとんどイコールのようなイメージを抱き続けてきた。

必要のないものを誰かに押し付ける。

利益がすべてで、相手のことは考えていない。

どうしてそのようなイメージができたのだろうか。

もちろんそういう面もあって、宣伝も行われているのだろう。

しかしながら、自分はそれを個人的に捉えすぎていたのかもしれない。

宣伝とは、ほとんどの場合、個人ではなくてある程度の大衆に向けて行われている。

個人的な、対人的で洗練されたサービスを受けたことがなければそのようなことにも気付きにくいかもしれない。

そのような点で、自分が対象になっていないものにも過剰に反応しすぎていたのかもしれない。

関心がないものを勧められれば、誰だって不快感を覚えるだろう。

対象に関心がない、むしろ嫌いなことだってあるだろう。

さらに表現の方法やタイミングが好みではないと嫌悪感は増してくる。

いちいち、そのようなものに反応するべきではないのだ。

嫌だ、と感じている時点で、広告作成者や宣伝車の一つの目標の達成に貢献していたのかもしれない。

向こうからすると、最低限の知ってもらうということ、それから感情を動かし、少しでも記憶に残すこと。

そんなことを、自分がその宣伝や広告の対象でもないのにしっかりと受け取っていたのだろう。

さらには嫌悪もで抱いていた。

ある意味、優秀な顧客だったとも言えるのだろうか、暇だっただけなのだろうか。

 

ものが、とにかく重視されていると思っていた。

製品がすべて、売れてこそすべて。

しかしながら、ストーリーが重視されているということも知っていた。

本も読んでいたし、そのように消費をしたこともあるし、周りにはそのようなものがあふれていた。

 

そして、自分が作る、売る側になるとさらに気づくことがあった。

ものも、ものすごく愛しているし人に知ってほしいし、大切であることは間違いない。

しかし、もっと伝えたいものがあることに気づく。

理念であり、イメージであり、それは多くて捉えがたいものでもある。

すべてが統合されていて、どれも大切。

そして、それを伝える方法で最も良いものは、必ず作り手から生み出されるのではないかと思う。

文章が特になら、もしくは好きなら文章で。

絵なら絵でも良いし、映像だってある。

本当に伝えたいことは、遠回りしてでもしっかり伝わっていくし、譲らないで、自分の大切にする方法で取り組んでほしい。

 

宣伝とは誇張することでもなんでもなく、押し付けでもないかもしれない。

勝手に押し付けられたと思っていた自分もおかしかった。

届くべき人に、自分なりの、自分が気持ちよくなる方法で届けていきたい。

伝えたいとこを、余すところなく。

 

2017.1.12

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