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2017.4.2

優しさ。

これは難しい。

自分は無駄にとは言えないが、過剰なほどに傷ついているのではないかと思う。

今、なにが問題で不満なのだろう。

まず、主体的に動けていない。

みのまわりにある素敵なものを活かしきれていない。

自分が動いているのではなく、周りに合わせて動いている。

隙間を埋めるために、その時その時だけに用いられている道具のような気がする。

形を変える必要もあるし、目的地にたどり着くまでに長い輸送時間もかかる。

自分で動いているのではなくて動かされている。

投げたものが返ってこない。

人に向かって投げているのに、壁に向かって投げているのに、壁に当たることはなくて向こう側へ、より遠くて行ってしまう。

そしてそれを、自分で拾う力はない。

あるのかもしれないが、そこに力を注ぐ気にはなれない。

それをするかしないかを決めるのも自分ではないから。

なんでも自分で決められることはないだろう。

というのはある程度正しいが、ある程度間違っている。

どちらが怖いだろうか。

全てを自分で決められることと決められないこと。

さあ、自分はどんな人間だろう。

いろんな人がいる。

体力だってそうだし考え方だって。

見てきた世界も異なるし、どのように今という時間や場を過ごしているかはその人にしかわからない。

さて、私はどうだろうか。

いま、なにをすべきだろうか。

昨日考えていて、やはり他にはないものを持っているとは感じた。

一年前と比べて、気力もついた。

現実的な面も考えられるようになった。

時間も少しは味方についた。

そして、自分がなにをやっているかということは、当たり前かもしれないが他人にとってよりは自分にとって最も重要なことなのかもしれない。

自分活き活きしているかどうか。

大切なものは失いたくない、失わない。

それでもやはり、活き活きと生きるというか、やっていく必要はあるのではないだろうか。

また、現実だって変わっていく。

ため息をしている場合ではないとかではなくて、ため息が出る時だってある。

だが、自分の行きたい方に進んで行こう。

今日は晴れている。

一年は非常に長い時だ。

少しでも自分が死んでいる時間が短いように。

貴重な時間を過ごしていくように。

申し訳ないかもしれないが、大切なものには代えるものを持っていない。

ここからどこへ向かうかはわからない。

とは言わないで、自分と、その周りにいる人と一緒に進んで行こう。

よし、決心して、それが変わらないように。

 

2017.4.2

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どうする

具体的に考えてみる。

失うべきではないものは失わない。

手に入れるべきものは手に入れるという考えではなくて、できるだけそちらに近づいていくように。

そのように生きていくこと。

そして大前提として、わからないことは多い。

コントロールできるとしたら、どんどんしていくこと。

焦る必要はない。

そして、無理をする必要はない。

過大評価をしないように気をつけろ。

それほど重要ではないことに気をもむな。

気軽すぎるほどに進むべき時がある。

今はどんな状態なのか考えてみること。

たっぷりと使ってはいけない。

それは望ましい状況でも望ましくない状況でも。

いつでも、自分の道を振り返ること、そしれその先に道があることを忘れないこと。

今、なにをやりたいか。

まだまだ若い。

いつだって今日が一番若いのだから、若いうちにというよりはわからないことの答えは早く手にしていく必要がある。

でないと、その答えは永遠にわからない。

自分のペースで進めることの範囲を増やしていくこと。

組織や他人とやるのなら、そのスピードを速めていくこと。

決して遅くなるためにやるな。

それを肝に命じろ。

攻撃的になる必要はない。

ただ、よくない方向に力が働いている時は早くそれに気づくこと。

そしてそれを修正すること。

それが軸ならば、もっとよくなる方法があるはずだ。

今もこうして書いていて気づくが、もっと試すべきことが私にはある。

また、ここで少しいや、たくさんの迷惑をかけることにはなるが。

よし、決意して進んで行こう。

決意は大きなものではなくて、日頃からの小さな積み重ねだ。

久しぶりに前を向いて進んでいくことができる。

少なくともトライしたといえるだろうか。

確かにそれは今の自分にとっては重要な言葉だ。

今日も一つトライしてみよう。

いつ、転機が来るかはわからない。

嵐を予測できないように。

なにを求めているのか書こうと思っていたら、考え方を書くことになってしまった。

どうだろう。

また、一年前と同じことをしようとしている。

その中でわかったことはなんだろう。

これからまた、たくさんの失望も待っているだろう。

それは期待に向かっていくからだろう。

その期待にどれほど近づいていくことができるだろうか。

自分の想像には間違いというかおかしいところもあるかもしれない。

だが、それすらもやってみないとわからなかったり、自分で合わせていくことかもしれない。

まずは自分が自分を鼓舞していくことだろう。

 

 

2017.4.1

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持っているもの

さて、貴重な時間だ。

この時間で本質に迫るように。

なにを持っているかを見直すこと。

失っているもの、手に入らないものではなくて。

自分の周りになにがあるか、その中には自分にしか持ち得ないものも幾つかは含まれているだろう。

それは何か。

このふかふかの布団かもしれない。

素敵な音楽を聴いて美しいと思えること。

この部屋にあるものの、いったいどれほどが重要なものだろうか。

どのような経緯をたどってここに来たのだろうか。

何かのきっかけや必要があってこの部屋にたどり着いたのだろう。

ある時はあるものを使うし、必要としている。

だが、長い間放置しているものも少なくない。

そして、この部屋の外にも自分が持っているものはある。

つながりを感じるものも存在する。

それは血のつながりかもしれないし、信頼と言われるようなものでもあるかもしれない。

全く会ったことがない人やものからも影響を受けることは多い。

そう考えてみると持っているものは多い。

しかし、それを活かせているかと問われるとそうでもない。

持ち物が多ければ多いほど、基本的にはそれぞれを用いることができる割合は減っていくのではないだろうか。

さて、新たな道に進んでいかなければならない。

今もこうして新しい文章が生まれるように何かを生み出していく必要がある。

なにを持っているか。

一番強いものは家族の信頼かもしれない。

今ここに暮らせていること。

悩んだ時に話してくれること。

全力で支えてくれていること。

それが何よりも恵まれているもので、自分が持ち得る最高のものかもしれない。

感謝しよう、いや、している。

それをどうにか最大限に活かせたら良いのかもしれない。

お金もある、時間もある、意志もある。

そうか、健康もあるだろう。

健康ではなくなったとしてもやることはなんだろうか、やりたくなることは。

今しかできないことは?それは振り返ってみないとわからないのかもしれない。

もっとよくなるのではという想像力も持ち合わせている。

生かせるものはたくさんある。

どんな道を歩いていくか、決めていくべきだ。

そしてそれを支えてくれる人はいる。

自分で道を進んでいけばいくほど出会いは増えていくのではないだろうか。

やっぱり、自分には合っていないと感じるようなこともある。

で、どうしていきたいか。

持っているものはたくさんあったが、ここに素直に書き出すことはできなかった。

だが、確実にたくさんのものを持っている。

この環境、現実全てが贈り物だ。

 

 

 

2017.3.31

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進む

日が高い。

もう夏が近づいてきた。

鳥が鳴いているので今日も晴れだ。

日の出の時間が信じられないほどに長くなってきた。

アラームが今は嫌に感じない。

昔はたくさんのストレスを感じていた。

一年前の今は、悲しいことが起こる少し前だった。

過去のことなんてどうでもいい、と言い切れる人もいるだろうが、自分にとってはそんなことはないと思う。

求めているものを探しに行くことも大事だし、手に入れに行くことも大切だ。

しっかりとしっかりと、考えることだ。

そして動いていくこと。

自分を鼓舞していこう。

とても悲しいことがあった一年前。

あれはまるで、同じように暮らしていた仲の良い民族が、急に敵となったあの話に似ていた。

少なくとも流された血はあったし、涙も止まらなかった。

自分たちの枠を飛び越えて傷つけた人もいた。

悲しみはどこまでも連鎖を起こすものだ。

その枠は決して狭くない。

時間すらも超えていくから、それは重要なことなのだ。

しかし、喜びも同じように伝染する。

広がっていく。

その良い面を信じることもできるはずだ。

自分はそろそろ、核というか、本質的な点に目を向けなければならない。

どんどん進んでいかなければいけない。

なにが迷惑だろうか、なにが妨げになるだろうか。

あの時はどうだったのだろう。

なにがうまくいっていなかったのだろうか。

誰にどんな迷惑をかけていたのか。

自分の状態がいけなかったのだろうか。

あれはあれで、理想の状態だった。

人は、必ず進んでいかなければならないのだろうか。

自分で責任が取れなくなったらどうなってしまうんだろうか。

果たして、誰が悪かったのか、どのようにいけなかったのか。

耐えられないからと言ってた人を排除していいのか。

逃げ出すことはいけないのだろうか。

あるものと一定の距離を置くこと、自分を守ること。

何か信じられるものがあるとしたらそれに向かって苦しむことも良いのかもしれない。

喜びも連鎖する。

本当に、周りには信じれないように生きている人もいる。

同じ世界のはずなのに全く逆の考え方をしていたり、実行していたり。

自分もそちらに行きたいと思う。

実際に行くことはできるし、自分んもかつてはそちら側にいたと思う。

いま、どこにいるのか?

また同じようなミスを繰り返してしまうのだろうか。

それでも進んで行こうとしているのだろうか。

あと少しだけでもよい。

しっかりと今向き合って、ダメでもいいから進んでいけ。

頭の中を実行に移せ。

 

2017.3.30

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現状

なぜ今これを思うか。

今、なにを思っているのか。

自分は逃げたいのだろうか、挑戦したいのだろうか。

おあなじ環境が嫌なのか、諦めているのか、期待しているのか。

全てが表と裏のような関係なのかもしれない。

毎日を大切に生きられているか。

そうでもないかもしれない。

昔はもっとポジティブに生きている時期もあっただろう。

では、今はどうだろう。

そしてこれからは。

最近の出会いや話を通して、急にまた世界が変わってきた気がする。

変えられてしまったのか。

新しい人に出会ったわけではない。

特別新しいことが起こったわけではない。

だが、心は少しだけ違う方向に動き出してしまった。

今でも思うが、心の方向に進んでいくのは案外容易ではない。

どのように生きるかを自分で決めて進んでいくのはまだ自分にとって簡単なことのようには思えない。

難しすぎてできないというよりは、どのようにしたらいいかわからないというか、飛び込むことを覚えたり、それを信じて続けていく力が必要だ。

では、現状はどうだろうか。

そう、現状を見ることが先ずは大切なのかもしれない。

毎日をどのように生きているか、どのように生きていきたいか。

なにが満たされていてなにが不足しているのか。

笑えることはなにで、悲しくなることは何か。

時間は限られているとどのような時に感じて、早く時間が経てば良いなと思うときはどんな時だろうか。

そして、そんなことを常に感じる環境にいるだろうか。

常に意識していたら疲れてしまうかもしれないし、本末転倒かもしれない。

だが、考えなくても必死になっていたり体が、心が何かの方向に向けて強く動いていくことは良いことかもしれない。

そんな生活をしていたのはいつだろう。

振り返ってみて、今はどんな時になるだろうか。

何にも必死にできていないような気がする。

昨日も深いため息が出てきた。

昨日感じたことは、自分が思っているほど周りから見てそんなに重大なことはないかもしれないということだ。

そして、アクションを起こしてみないとわからないことは確かに本当に存在するということ。

少なくとも、挑戦はしてみた、と誰かが言っていた。

確かにそれはとても重要なことなのだろう。

そして、少しでも挑戦をした人は次に向かわざるをえなくなる。

どこへ向かうのだろうか。

勝つことと同じで、それ自体は難しいことではないかもしれない。

どうしたら勝ち続けることができるだろうか。

そこを考えるべきなのか。

 

2017.3.29

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Catch Up

ついにこの日が来た。

やっと、最低限というとこまで追いついた。

ここに来るまではたくさんの時間が流れた。

遅れをとり、その遅れがやっとなくなってきた。

またこのようになる時期も来るかもしれないが、できるだけ避けよう。

そうならないような自信もどこかしらある。

今回のような遅れをとったのは久しぶりだ。

しかし、これは重要なことだ。

諦めずについてくることができてよかったとは強く思わない。

特に誇らしくもない。

だが、これが非常に重要だということは自分でもわかるし、進んでそのように認識していきたいと思う。

クリスマスの頃に、こうしてまた文章を書くようになった。

書いている量としてはそれほど多くない。

1日に1000文字分。

一週間、一ヶ月で考えていくとそれほど長くはない。

文章をその場で考えながら打ち込んでいく。

もしくは、打ち込みながら考えている。

毎回感じるのだが、この文字数は読み手としては非常に少ないが、書き手としては短すぎるわけではない。

時間としては書くのに10分ほど。

読むのはもう、ほんの時間もかからないほどだ。

頭の中を垂れ流しているだけかもしれない。

しかし、時には素晴らしい表現が生まれる。

もちろん、自分がそのように感じるという意味であり、他人のことはわからないのだが。

クリスマスの頃は、もっともっと余裕がなかったのだろう。

あの頃は非常に苦しかった記憶がある。

ストレスが溜まっていた。

自分で、自分だけではコントロールできないことがあまりに多かった。

と言っては陳腐だが、コントロールできないと思っていることは間違いなく多かったし、実際にほとんどできずにいた日々が多く、落ち込まざるをえなかったようにも思う。

それともう一つ、どこまでも心が燃え尽きていた。

とてもとても長い時間を無為に過ごしてしまっていた。

どこにもエネルギーがなくて時間だけがその隣を音もなく足早に流れていった。

もちろん帰ってくることはかった。

そんな中でも、記憶はないものの、自分も書き続けていたのだろう。

それはそれは、とても良いことであった、とこれからもいえるであろう。

どれだけの宝が生まれたのだろうか。

それは、これからの自分の人生の中に出てくる。

それを見逃さないように。

素敵な出会いが、またこれからたくさんある。

その目をどうか、自分で無理に摘まないようにしてほしい。

世界がどんな風に回ろうとも、希望を持てるのはあなたなのだから。

だから、これは是非、続けてほしい。

 

 

2017.3.28

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Always All Right

もっと、もっと。

世界の良い面を見た方が良いのではないだろうかという自分への提言。

毎日いろんなことがある。

悲しいことだって時々はあるし、その悲しみが深すぎることもある。

だが、良いことの方が目に入る。

人間はそのようにできている気もする。

それは間違いかもしれないが。

悲しみばかりに目を向けて、それに耐えられるという人もそれほど多くないのではないだろうか。

どうなのだろう。

悲しみと向き合い続けることも、それはそれでとても疲れる。

多くの体力を必要とするし、強靭な精神力という、名前ばかりで実態はよくわからないものが必要とされる。

そして多くの場合、自分だけではやっていけないので、周りや専門家と呼ばれる人たちの助けが必要となるのだろう。

しかし、それは喜びでも同じだ。

ほとんどの喜びも、自分だけで成り立つことは少ない。

自分がしていることが人とつながっていくこと。

自分が影響を与えていると実感できて、自分も影響を受けていると感じられること。

コミュニケーションがとれること。

そんな双方向の交流が存在するし、誰かにお世話になっていることは明らかで、悲しみのそれとあまり変わらないのかもしれない。

 

ふと、世界を見ている。

なんとなく、特に深い思い込みを持たず。

なにが頭に、心に浮かぶだろうか。

基本的に、苦しもう、悲しもうとする人はそれほどいないのではないだろうか。

それらを求めている人は、それらを苦しみや悲しみと呼んでいないようにも考えられる。

そう、他人からは呼ばれていたり一般的には見えるものが、それらを求めている人たちにとっては喜びや救いなのかもしれない。

自分であらゆることを選択して良いとしたら、するとしたら、皆心地よいものを周りに集めるのではないかと思う。

例えばそれは好きな音楽であったり、今目の前にあるものであったり。

いま、あなたの目の前にはなにがあるだろうか。

心地よい環境をどこまでも求め続けていくのが人間なのではないだろうか。

聴きたい音楽を流す。

あったかい布団に入る。

エアコンをつけて空調を整える。

空気清浄機を使用する。

そう、電気が当たり前のようについているがこれもその一つだ。

楽しいことをしよう、ずっとやりたくてできなかったことをしよう。

そうやって進んでいくのではないだろうか。

悲しみばかりに目を向け続けることは、ある意味できない。

だから、命を絶ってしまうこともあるのだろう。

周りを見回してみて。

Always All Right.

 

2017.3.27

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