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もっと

具体的な可能性、求めているもの

手に入れたいもの

・自分で判断し、行動し、その結果を受け取る

・自分を最も知っている人の中で役に立つ

・自分の考えをまとめ、伝え、行動に移すことが出来る。そしてそのリアクションを得ることができる。

・生きていくためのお金、新しいことをできるお金

・生きていくための時間(自分を作り出す核となるものをする、人とともにいる)

・充分すぎるほどの休養

・自分のペースというものを理解して取り組もうとすること

・可能性や期待:この道に進んでいる方が楽しいと思えること

・素敵な音楽を聴いて心が震えて、青空を見ることができる、春の独特な雰囲気も味わうことができること

・大切な人が身近にいること

・一緒に何かを生み出すこと

・一つのことだけではなく、複数の場所に所属し、自分ができることを発揮していくこと

・いつでも立ち止まって振り返ることができること

・自分から進んでやること

・傷つくことを避けるのではなく、悲しみを一つでも減らすこと

・移動できること

・常に新しいことができると信じられること

・自分に下手な枠を作ってしまわないこと

・柔軟に

・自由に、素直に、大切なものを大切に

・感動や世界の素晴らしさ、美しさを多くの人と分かち合いたい

・心を素直に話すことができること

・大切な人のことを常に思って、その人たちといかに実現していくことが出来るか考えること。

・過去や経験、自分の大好きなものを大切にし、整理し、発信していくこと。伝えることなしには何も起こらない。

・今日からやりたいと思えるようなこと

・心が軽くなるようなこと

 

音楽とは非常に不思議なもので、ここぞというタイミングで流れてくるような気がする。

そして、文章というものがそれに合わせて存在するような気がする。

なぜ、音楽と文章がそこまで関係が深いのかは、それが好きな人なら分かるはずである。

どんな出会いにもタイミングがあるというが、まさにそうだ。

まず、聞いてみないと始まらないと言おうとしたが、そうでもない。

ラジオからふと流れてきた音楽という場合もある。

なぜだろう、出会わなければならなかったのだろうか。

悲しい気持ちな時は、幸せなふりをするんだよと、ささやかれる。

確かにそうだ、それほど悲しむことはない。

ほとんどのことは悲しくないのだから、なぜ悲しく感じられるかを見つけたら、さっさと忘れて次へ向けて進んでいこう。

楽しいふりをして。

また、新たな音楽があなたを導いてくれるだろう。

 

2017.4.9

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Afraid

怖がる方向が違う。

頑張る方向が違う。

・どんな時も、人は自分のことをそれほど気にかけているわけではない

・見てくれている本当に数少ない人は大切に

 

悲しみ、痛み。

・傷つけること

・傷つくこと

・割り込むこと

・急がせてまでやらせること

・相手のことを考慮しない、理解しようとしない

・教育する気もなく責任を持てていない

・タイミングをわきまえていない

・まかせるならどこからどこまでを、いつまでに、どこにリソースがあるのか、そして相談しやすいような環境を整えること。任せたのなら定期的に確認をすること。すべては任せた自分の責任。

・モチベーションを管理するのは自分だけの仕事ではない。組織や集団のモチベーションも作り上げること。

・どんな時も顧客のことを考える。

・充分な説明

・わからないことがあったら聞くこと、と言うとしたら聞きやすい環境や、質問が生まれるだけ充分な情報を与えること

・時間、コミュニケションの方法で相手を信頼しているか、尊敬しているかがわかる。決して一方通行にならないこと。

・一気に判断を変えない。経緯の説明をしたり寄り添うこと。その人の決断が結局組織の決断になりはするが、それはつまり、他の人の考えでもあるということ。本当にそれで良いのか。

・外のことより内部をまず整えること

・優先順位があるなら徹底すること

・人を見下すような態度を決して表面ではとらないこと

 

喜び、安らぎ。

笑顔やポジティブ。

心が弾むもの。

・自分で考えたことを発言できる、実行できる

・ためらいの対象が、人ではなく全体のためになること

・怖い、言い難い、やり難いはできるだけなくすこと

・その人の特徴、やりがいややる気を伸ばせるように割り振ること

・才能や特徴を活かすことで組織全体に良い流れが生まれるように

・基本的には協働、補っていくべきである

・誰でもできるようなことを意図の説明もなくやらせ続けているとその人は信じられないほどやる気を喪失する

 

 

 

苦手なもの。

(気持ちが進まないこと)

・充分な休養時間がないこと

・好きなこと、自然とやるようなことができなくなっている時

・よく寝てしまう

・無理をする

・気合でなんとかなると思わない

・ゆっくりと、のんびりと暮らすことのできない環境

・常に焦ったり怖がっていること

 

得意なもの。

(頼まれなくてもやること)

・新しいことを探す

・つなげる

・芸術、アートに触れる、まとめたり発信したり生み出したり味わうこと

・作り出す人のそばにいること

 

2017.4.8

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帰路

好きなこと、気になることを書き連ねてみれば、と彼女は言う。

確かにそれがいいかもしれないと思った。

今日は非常に天気が良くない。

それでも気温は充分な暖かさ。

冬は完全に通り過ぎて行ったし、半年以上戻ってくることはないだろう。

今日は午後から一件の来客があるかもしれない。

私としてはそれを待ち望んでいるが、どうなるかはわからない。

そして、昼前までに私にはやるべきことがある。

自分のために、そして彼女のために。

より多くの人のためであるのかもしれないが、そこに触れ得る必要はない。

どんな行為であれ決断であれ、関わりはある。

自分が持っている以上に他人は自分のことを気にしている。

それも正しいだろう。

そして、それと同じくらいに自分のことなんか気にしていない。

そして、同じように、他人のことを理解するということは可能なような不可能なような曖昧なことだ。

自分のこともしっかりと把握できていないように。

外はとても明るい。

雨が降っているのか病んでいるのか、よく目を凝らさないとわからないくらいの明るさだ。

雲が街を覆っているというのに、まぶしいほど明るい。

いつまでも天気は良くなりようにない。

朝に比べて風も強くなってきたので、今日中に桜の花は全て散ってしまうかもしれない。

誰にもそれを止めることができない。

先日見た、日本で一番とも言われる桜。

初めてそれを見た時、私は圧倒された。

緑と白のコントラスト。

規模の大きさから目の前の空間をうまく認識することができなかった。

どこからどこまでを一つの景色として区別すればいいか、意識的に考えなければならなかったし、考えてもそれを行うことはできなかった。

とてもとても美しく、大きい光景だったので、心に大きく焼きついた。

それから何年経ったのだろうか。

今年は全く感動を覚えなくなっていた。

異なるところに感動を見出している自分がいたことを強く感じる。

間違いなく、最初見た時と何かが異なった。

 

これからある人が、世界に向けて旅立っていく。

二、三年は帰らないという。

ずっとそれをやりたがっていたよね、と誰かが言っていた。

確かに、本人も他人も、誰もそれを止めることはできなかったようだ。

その道がとても自然に、自分には映る。

何か凄いことをしているわけではないし、罪を犯しているわけではない。

難しいことにチャレンジしているようにも感じない。

ただ、その人にとっては進むべき道に至っただけのような気がする。

もちろんそれは良きことであると思う。

 

それで、あなたの好きなことは。

と、彼女が言った。

 

2017.4.7

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For her

彼女について。

彼女は文章に出てこないという。

確かにあまり出てこないかもしれない。

どんな時も、頭の中のことを出しながら書いているので、これを書こうと思って書くことは少ない。

もし、題を決めることがあったとしても、それはずっと心の中にあったものだし、溜まっていたものがあふれるだけのようなものだ。

といいつつ、そんなことを言ったらすべてのことが無意識から生まれているというような無責任な発言のようにも聞こえる。

だが、実際にこれについて書こうと思って書くことは少ない。

書きたいと思っていてもかけずに終わってしまうことも多い。

とにかく、感情と一緒で思考というものはあっという間に流れていく。

昔はそれを書き留めたりしていたが、それは続かなかった。

前よりもどんどん底に沈んで、あっさりと忘れられたり、無意識の中でしっかりと混ざってからまた出てくるようになったのかもしれない。

今、美しいピアノの音色が耳に届いた。

 

彼女は、文章における間違いを指摘してくれた。

文章というよりも文字だ。

急いで文字を打ち続けているせいで、誤字があるというかミスタイプがある。

かなりの確率である。

千文字書いたら一文字はあるのかもしれない。

それに、彼女はよく気づく。

と思ったが、落ち着いて読むとしたら誰でも気付くものなのかもしれない。

だが、それを指摘してくれる人は彼女を除いてほとんどいない。

だから嬉しいしありがたい。

どこが間違っているのか、全体ではなくピンポイントで教えてくれる。

だから、そこを修正しようと今日文章を見返してみたが、三つのうち一つを見つけ得ることはできなかった。

どこにあるのだろう。

間違っていることはわかるが、それがどこであるかわからない。

そして、新しい文章はまたどんどん増えていく。

そしてまた、間違いも生まれていくのだろうが、過去のものはどんどん掘り返すことができなくなっていく。

 

彼女はおそらく、彼女について書かれることを望んでいる。

そしてそれは、彼女のことをそのまま書き写すことではないだろう。

それに対して自分がどのように感じているかを書かれているのを目にしたいのかもしれない。

正直なとこわからないが、この文章を読んで少しでも笑ってくれたら嬉しい。

そんなことを感じながら今文章を書いている。

次の曲に変わった。

 

彼女はあまりにも当たり前のような存在だから。

どんな文章を私が書こうとも、そこには彼女が現れているはずだ。

Keep yourself alive.

 

2017.4.6

 

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You may Dream

あなたは夢を見て良い。

夢を見る資格がある。

だが、私は思う。

夢を見ることはできるが、そこから先に進んでいくのは怖い。

なぜだろう。

わからない。

なぜこれほど、怖がるようになってしまたtのだろうか。

5年ほど前は、もっと自信があった。

活き活きとしていた。

受け入れられないこと、バカらしいことも存在していた。

だけど、そんなことには目が向かなかった。

どんどん積極的に受け入れたり排除したり、とにかく自分で進み続けていた。

判断基準が自分にあったというよりは、勢いで進んでいた。

勢いが自分という人間を作っていたのだろう。

なぜあれほどエネルギーが溢れていたのだろうか。

 

常々、優しくあろうとは思っている、というとなんだかいやらしく聞こえてしまう。

優しくありたいと思っている。

そして、優しくなければ存在している価値がない、意味がないと感じることもある。

本当にそのように感じるのだ。

大げさではない。

優しくなれないのならば、やらなくて良いことは山ほどある。

なぜか。

人を傷つけることが嫌いだからだ。

傷つけるのが好きな人はそれほど多くはない気もする。

だが、何気なくでも人を傷つける人は多い。

そして思うに、傷つけ続けている人も少なからずいる。

なぜ、それほど傷つけることが嫌なのか。

それは、自分が傷つくのが苦しいからだ。

この部分が数年前より変化した場所だ。

昔よりも痛みを感じやすくなった。

痛みという表現だけでは十分ではないだろう。

辛さ、悲しさというものが自分の体に重くのしかかってくるようになった。

そして、体の芯まで染み込んでくる。

とてもとても痛いことが多くなった。

悲しくて悲しくて。

相手を、他人を的のように思ったり、加害者ではないが、危害を加える人として認識しそうになるほどに痛みを感じるようになった。

 

その分自分は優しくなれているのかはわからない。

だが、人が傷つけられるのを見ているのはとても悲しい。

苦しい。

その人を見ていて自分が救うことができないから、という理由からではない。

自分も、同じように苦しみを感じてしまうからだ。

その人が感じているものと同じ痛みや悲しさではないが、人が傷つくという現象に対してものすごい苦しみを感じるようになった。

どこまでも悲しい。

そんなことが毎日起こらないで良いと思う。

 

けど、夢は見て良いし、毎日怯えることなんてない。

自分がいかに素敵な環境にいるのかを常に忘れないように。

思っているほど他人は自分を気にしていないし、あなたを傷つけようとは思っていない。

 

2017.4.5

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What you want

なにを求めるか。

ふとした時に思う。

もし明日死ぬとしたら。

最近本当によく考える。

もし、そろそろ死んでしまうとしたら、なにをするだろうか。

この問いはなんだか不思議だ。

あまりも急すぎる。

もし、本当に死ぬとする。

それを前提とすると、あらゆるものの見方が変わってしまう。

前提自体が変化してしまって、これまでと同じように考えるなんてことはありえないことになってしまう、当たり前のことだが。

ものすごく、不思議だ。

もうすぐ死ぬとしたら、あと少ししか生きられないとしたら。

本当にそうなったことはこれまでになかったと思うし、今体験していて気づいていないだけなのかもしれない。

そうなった時には、体は元気に動いているだろうか。

心は正常と呼ばれる範囲で機能しているのだろうか。

文章を書いたり、会話をしたり、なんらかの方法でコミュニケーションを取る術は残されているのだろうか。

おそらく、そのうちの一つくらいはできるのだろう。

そう考えると、死ぬときはどんな風に死んでいくのかは全くわからない。

想像したこともなかった。

ある部分から、人は長い時間をかけてゆっくり死んでいくのだろうか。

本当に最後の最後の瞬間は、どこの機能が残っているのだろうか。

そんなことはわからないのかもしれないし、科学の力でとっても簡単に解明されているのかもしれない。

先に意識が失われるのか、肉体が死ぬのか。

そんなことを思ってみたものの、意識とて物理的な動きだから、結局は機能が停止するということなのだろう。

と、考えてみると順番が重要なのだろうか。

だが、逆はありえないだろう。

肉体は死んでいるものの意識のみが残されということはおそらくありえない。

そしてそうだとしても、コミュニケーションの方法はない、というか、そのような状況は肉体が死んでいるとは言えず、著しく機能が低下しているということだろう。

 

あと少しだけ、自由に何かができるとしたらという問いだ。

なにをするだろうか。

考えただけで涙が出そうになる。

家族に伝えたいこと、見せたい景色。

世界中の人と分かち合いたかったこと。

毎日続けていたことがここで終わってしまうこと。

それは、ものすごい感情を湧き起こすだろう。

喜びと悲しみ、名付けられぬものがいっしょくたになって、体に染み込んでくるのだろう。

そして、その感覚をまた、誰かに伝えたくなることは間違いないだろう。

それこそが、生きている証拠なのだから。

なにをするだろうか。

 

2017.4.4

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Crazy

頭がおかしいのではないかと思ってしまう。

昨日は上手く話すことが出来なかった。

それでも、たくさん話した。

それまで全く話さずに過ごしていたから、衝動的に、いろんなことをしてしまいそうになっていた。

このような表現では、なにも伝わらないが。

かなり、突発的な行動を起こしそうだった。

それをなんとか、周りの人々が引き止めてくれた。

少しだけでも自分の心の中を吐き出したからだと思う。

もしそうしていなかったら、今頃どうなっていただろうか。

後悔していたかもしれないし、ワクワクしていたかもしれない。

それでも、今思うととにかく、波が大きくなっていたと思う。

心がさらに落ち着かなくなっていただろう。

正しかった、よくやった、いい方向に進んでいると自分を励ます側で、もう戻れない、これで正しかったのだろうか、苦しい、申し訳ないということを考えていただろう。

そして、落ち着く間もなく、冷静に判断することもできず時間がひたすら流れていたのではないだろうか。

 

だから、話してみてよかったと思うし、言われた通り、話さなかったとしたら、それは本当に申し訳ないことだった。

たしかに、そうだ。

これほど支えてくれる人がいる。

頼んでもいないのに、自分以上に自分のことを考え、心配し、支えてくれる人がいる。

優しさにも涙が出たではないか。

声を聞くだけで安心する。

必死で、目の前で話しかけてくれる。

前を向くことの大切さを教えてくれ。

同じ過ちを犯さないように、なにをすべきで、なにをすべきではないのか。

それがわかるようになるまで、一緒にいてくれる人がいる。

なぜ、そこまで注いでくれるのだろうか。

なぜならば、それは他人事ではないからだ。

自分にも関わることだ。

アトピーの話ではないけれど、身近に症状を持っている人がいるかいないかでは、その症状を持っている他人に接する方法が変わる。

 

世の中全てのことを自分のこととして捉えることはできない。

だが、全てが他人事というわけではない。

物理的な距離があろうがなかろうが、生きていようが死んでいようが、つながりというものは常に存在している。

そして、その絆が強ければ強いほど、人は真剣になるはずだ。

それは時にものすごく強くなるし、同じ人との間でも信じられないほど弱くなったりもする。

自分でコントロールできる部分もあるが、あくまでも二人以上の人が結ぶものなので、どうしようもないことがある。

自分だけで考えるな。

 

2017.4.3

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